メルマガ版 ★★ GOSPEL TALK ★★
第1回 〜 依存症とは? 〜
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◆依存症とは何か?
神奈川県の貿易会社に勤務する吉沢昌子さん(仮名、38)は
会社帰りのデパート巡りが日課だった。
ブランドショップのガラス越しに映し出される最新デザインの洋
服や靴・・・・。眺めているうちに「明日になれば誰かに買われ
て無くなっているかもしれない」という焦りに襲われた。
会社では代わったばかりの上司との折り合いが悪く、夫に相談
してもほとんど話を聞いてくれない。たまに口にする言葉は「無
理して働かなくてもいいじゃないか」。同居する姑との関係も重
荷でストレスもたまっていた。
「1回払いで・・・・。」初めてクレジットカードで数十万円
の商品を衝動買いした瞬間、そんな渇いた心が何ともいえない幸
福感で満たされた。店員が女王様に接するようにかしずいてくれ
「ここに来れば注目される。認められている」と感じることがで
きた。
それからはあっという間。気づいた時にはカードの引き落とし
額が給料を超え、消費者金融に手をつけのも時間の問題だった。
負債が600万円を超えたとき、初めて夫にうち明け返済を肩代
わりしてもらい、カウンセリングで「買い物依存症」と診断され
た。「たまったストレスが限界を超えた時、過度の買い物につな
がった」。吉沢さんは振り返る。
(日経新聞、2005年1月24日朝刊から)
「やめられない止まらない」なんていうCMがありました。かっぱえびせんでしたっけ。
一度始めたら止まらない。「わかっちゃいるけど、やめられない。」
依存症を一口で言うと、この「わかっちゃいるけど、やめられない」ということでしょ
うか。酒がやめられない。ギャンブルがやめられない。買い物、薬物、そして、過食症、
拒食症といった摂食障害。
最近は、アディクション(嗜癖)という言葉でも呼ばれてます。依存症と嗜癖との違い
は、やめたくてもやめられない“症状”のことを依存症と呼び、そして、やめられない
“行動”をアディクションと呼んでいるというだけの違いだと思います。ですから、どち
らも同じ人間の行動パターンを指しているのでしょう。
◆◆依存症と現実、幻想
さて、この依存症、嗜癖について、ある臨床心理の専門家は、次の様に述べています。
「嗜癖は、本人にとっては自己治療なのであり、さらに言うなら一
種の救済として現れる。耐えがたい現実に対するもうひとつの現実
をつくり出すのであり、それは周囲を変えるのではなく、自分の感
覚を変えることで現れる現実なのである。」
(信田さよ子著、「依存症」文春文庫)
これを、冒頭の吉沢さんの例で見てみましょう。
カードで買い物をする。現金がなくとも買い物ができる。今の自分では買えそうもない
ものでも買えてしまう。それはすなわち、まるで“自分が何でもできるかのような万能感”
を味わうことができます。
「渇いた心が何ともいえない幸福感で満たされた」。
買い物によって得られた万能感は、彼女を、上司や姑とうまくいかないとき味わう無力感
から救いだし、ストレスから解放します。
さらに、店員の丁寧な接待によって、
「ここに来れば注目される、認められていると感じることができた」。
店員との一体感は、夫が話も聞いてくれないという孤独感からも解放してくれます。
しかし、ここで彼女が味わう万能感や一体感は、買い物によって彼女だけが見ることの
できる幻想、すなわち、「もうひとつの現実」の中の出来事。本当の現実において、上司
や姑との関係がよくなったり、夫が話を聞いてくれるようになるわけではありません。
つまり、「どうしようもない耐えがたい現実」で打ちひしがれた心を“癒す”、“救済”
するために、買い物によって現れる幻想(=「もうひとつの現実」)へ逃げ込むという、
いわゆる「現実逃避」であると言えるでしょう。
現実逃避ということだけなら、特に問題はないかもしれません。ところが、実際には、自
分の支払能力を超えてカードで買い物をしてしまって、後で借金地獄に陥るという、つま
り、幻想と現実とのギャップに苦しめられることになります。
心を癒そうという生きるための“あがき”として始めた「買い物」という行為が、現実に
生きることそのものを危険にさらしていく。「やめたくても、やめられない。」この非常
に厄介なジレンマが、「依存症」の本質であります。
◆◆◆依存症と信仰
「心を癒す」、「救済」、「渇いた心が何ともいえない幸福感で満たされた」、
「認められていると感じることができた」、これらの言葉、皆さん、どっかで聞いたこと
ありませんか。
先程紹介した信田さんの本の一節を、もう一度読んでみましょう。
嗜癖は、本人にとっては自己治療なのであり、さらに言うなら一種
の救済として現れる。耐えがたい現実に対するもうひとつの現実を
つくり出すのであり、それは周囲を変えるのではなく、自分の感覚
を変えることで現れる現実なのである。
“嗜癖”を、“信仰”という文字に置き換えてみます。
“信仰”は、本人にとっては自己治療なのであり、さらに言うなら
一種の救済として現れる。耐えがたい現実に対するもうひとつの現
実をつくり出すのであり、それは周囲を変えるのではなく、自分の
感覚を変えることで現れる現実なのである。
ゴスペル・トーク再開、いよいよ、「キリスト教依存症」のテーマに、切り込みます。
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発行日: 2005.2.10.
発行者: べっち
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